2007年09月05日

ジェヴォーダンの獣

ジェヴォーダンの獣


ジェヴォーダンの獣





1764年から1767年までの間、フランス中南部にあるジェヴォーダン地方にて、雌牛サイズの狼の様な獣の怪物が現れたと言われています。
その怪物は「ベート」と呼ばれ、歩いている時は鈍重そうですが、走り出すとかなり速いらしく、120人以上の村人を食い殺し、近隣の人々を恐怖に陥れたそうです。
初めてベートがジェヴォーダンに姿を現したのは、1764年7月の初め頃。
ランゴーニュで若い女性が突然現れたその怪物に襲われ、彼女の牡牛達が追い払ったという事件を皮切りに、続いてヴィヴァレー地方のサン・テチエンヌ・ド・リュグダレス村の、ジャンヌ・ブーレという14歳の少女がいなくなり、翌日、村人によってその少女の食い殺された死体が発見されたそうです。
村にベートの噂が流れ始めた8月には、ピュイ・ローランの近くで、15歳の少年と少女が食い殺されたそうです。
やがて、ベートは新聞に取り上げられ、事態を知ったルイ15世は、ベートを退治すべく、狩猟隊の竜騎士達を派遣しました。
しかし、ただでさえ貧困生活なのに、村人達は畑仕事から招集され、ベート狩りに強制的に参加させられたそうです。
しかも、肝心の竜騎士達は贅沢に飲み食いした挙げ句、何の成果も上げず、とっととベルサイユへ帰還してしまったそうです。
その後続として王宮付属の狩猟隊デンヌヴァル父子が派遣されるも、これまた成果を上げられず帰還。
そして、3度目の正直とばかりに期待され、狩猟隊ボーテルヌ父子が派遣されたそうなんですが、なんと彼らは、偽者を使ってベートを退治したと宣言し、しかも王宮の掲示した懸賞金まで手に入れるという、詐欺を行ったそうなんですよ。
そんなこんなで、ベートは退治された事になり、事件は解決したと当時の新聞までも書きたてました。
しかし、12月2日、ムーシェ山の南東の斜面にあるオンテス・オーの部落で、7歳の少年がベートに食い殺されたそうなんですよ。
この時、事件を目撃した14歳のジャック・ドゥニ少年によれば、ベートは背中に1本の縞が走り、脇腹には黒と焦げ茶の斑点があって、狼では無いと強く主張していたそうです。
その後もベートは多くの人々、特に女・子供を食い殺しました。
これ以上犠牲者を出さない為に、ベートを殺すしか無いと、村人達は結束し、1767年6月19日の狩り出しには、漁師と勢子300人が参加したと言われています。
その日、地元の領民ジャン・シャステルは、オーヴェールのソーニュに位置を構え、彼が聖マリアの連祷を読んでいると、ベートが彼の前に不意に姿を現したそうです。
彼は冷静に、本をたたみ、眼鏡をはずしてポケットにいれると、銃を肩にあて発砲しました。
すると、鉛のマリア像から作った弾丸がベートに当たり、ついに人々を苦しめ続けた人食い獣を殺したのです。しかし結局、ベートの正体が何であったのかは不明です。

単にデカくて凶暴な狼やハイエナだという説から、狼の毛皮を被って、農家からお金を盗ろうとした者もいる事から、ベートは実は人間だったのではという説や、熊説、狼男説、宇宙人説までありますが、事件背景が入り組んでおり、当時の記録も少ない事から、どうにも確信は得られません。


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Posted by ドケット at 13:16│Comments(0)U M A
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