おお、Yか

ドケット

2009年03月07日 07:43

今から二年ほど前、Yの爺さんが死んだ。


Yは昔から超が付くほどの爺さんっ子だったもんだから、葬式のときなんかは年甲斐もなく鼻水たらしながらわんわん泣いたらしいのだが、ちょうどその爺さんが死んでから、初七日の日の事。



その日はYの住んでるところでは暴風警報が出されたくらいにやたら風の強い日にも拘らず、学校からの帰りのバス賃も底をついたYは、仕方なく家まで歩くことに。



途中何度も飛ばされかけながら死ぬ思いで、やっと夜の七時半を少し回ったくらいに家に着き、鞄から鍵を出して玄関を開けた。



すると、Yの帰りを待っていてくれてたかのように、丁度良いタイミングで玄関から真正面にあるYの部屋のドアが開いた。部屋の中では電気もテレビもついていて、おまけに唯一の暖房器具であるハロゲンヒーターまでスイッチが点いていた。
ははん、これは母ちゃん、気を効かせて俺の部屋を暖めておいてくれたか。
Yは嬉しくなって、いつもより明るい声でただいま、と言い玄関を上がった。





だが、いつもは返って来る返事が今日は無い。
不思議に思い、さっき脱いだ靴の方を見ると、玄関にはたった今脱いだ自分の靴が散らかっているだけで、母はおろか父の靴も姉の靴も無い。




そう言えば、今日は自分以外の家族は全員祖父の法事で家には遅くまで帰ってこない日だった。



とっさにYの頭には昔映画で見た真っ暗な部屋の中に立っている髪の長い女の幽霊のビジョンが浮かんだ。



まさか、とは思ったが幽霊やらお化けじゃなかったとしても泥棒と言う線はありえる。


Yはなるべく足音を立てず部屋の入り口まで進み、そっと中を覗き見た。



部屋の中には、先日死んだはずの祖父がこちらに背中を向けて座っていた。

それが祖父だと分かった途端、Yの恐怖心は一気にしぼんだ。




昔からホラー映画も誰かと一緒でなけりゃ見れないほどの怖がりだったYだが、たとえ本物の幽霊であったとしても祖父となれば話は別だ。





Yは懐かしさと、死んでも自分の所に会いに来てくれた事への嬉しさで、思わず涙ぐんでしまった。





爺さんは、生前の癖だった特徴のある咳を二、三度しぎこちない動作で毛のない後頭部を掻いた。
「じいちゃん」


Yが呼びかけると、爺さんはのそりと立ち上がり、振り向いた。


気のせいか、振り向きざま、爺さんの輪郭線がぐにゃりと歪んだように見えた。

振り向いた爺さんの顔は、インクを被せたように赤かった。
「お…おお、Y、Yか」




爺さんが自分の名前を呼ぶ。聞きなれた懐かしい爺さんの声。だが、イントネーションがおかしい。平坦すぎる。




生前、爺さんには強い地方のなまりがあったが、今の爺さんから聞こえてくる声はパソコンで作った人工音声のようだった。
爺さんが、のそりとこちらに一歩歩み寄る。




「じいちゃん、どうした」




あまりに様子がおかしい爺さんに呼びかけると、爺さんはまたさっきと同じように咳をして、頭を掻いた。
「じいちゃん、うちに帰ってきたのか?」





Yがそう聞くと、爺さんは少し考える風に天井のあたりを見て、
「お…おお、Y、Yか」





さっきとまったく同じ台詞を、さっきとまったく同じ発音で繰り返した。







そこでYは少し怖くなった。こいつは爺さんなんかじゃないんじゃないか。






爺さんはまだ天井を見ている。指先から滴り落ちた赤紫の液体が、部屋のカーペットの上に小さな水溜りを作っていた。





よく見ると、腕の不自然なところから肘が曲がっている。と言うより、肩から肘にかけてが凄く長い。




生きてるときの爺さんは、こんなんじゃなかった。こいつはもしかして爺さんの真似をしている別の何かじゃないか。







Yは少しずつ、少しずつ足音を立てないようにすり足で後ろに下がった。





それに気付いたのか、爺さんのふりをしたそいつは首だけを異様に長く伸ばしてこっちを見た。




まずい、気付かれた。





そう思った次の瞬間、目の前にそいつの顔があった。肩から上だけが不自然に伸び上がっている。


伸びきった首がゴムのようだった。







目の前で、そいつの口からごぶごぶと赤紫の泡が立った。




「お…おお、Y、Yか」





Yは絶叫した。






それからYは、無我夢中で近くの本屋目指して走った。







家に一人でいるのが怖かった。







9時を過ぎ、家族が帰ってくるまで家の中には入れなかった。




それからYは家族にその事を話したが、誰もまともにとりあってはくれなかった。




結局Yはその日の夜、あの赤い爺さんの出た自分の部屋で寝る事になった。





Yは気が気ではなかった。目をつぶっても、開けるとあの赤い顔があるようでなかなか眠る事は出来なかった。





しばらく経って、それでも恐怖と緊張を眠気が押さえつけ、Yは何とか眠りについた。




明け方になって目が覚めると、どうも顔がむずがゆい。






洗面所に行って鏡を見ると、顔が赤紫の汁でべっとりとぬれていた。






その日からYは自分の部屋で寝るのを止めた。





次にまたあいつが出てきたとき、今度こそ逃げられる気がしなかった。






Yは今でも言う。








「あれは爺さんなんかじゃなかった。」

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